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私たちが暮らす街

箕面市は、住み心地の良い街のランキングで常に上位です!

「住みよさランキング」は、それぞれの市が持つ「都市力」を、安心度・利便度・快適度・富裕度・住居水準充実度の5つのカテゴリーに分類し、毎年ランキング化されて公表されています。 箕面市は、「利便度」「快適度」「富裕度」が高く評価されています。「安心度」も上昇しています。 現在、北大阪急行線の千里中央駅~箕面萱野駅約2.5kmの区間の延伸工事が進められています。2023年度の開業予定です。完成すれば、箕面市から新大阪・梅田・なんばなどの大阪都心に乗り換えなしでアクセスが可能になります。箕面市の利便性はさらに高まります。

いい部屋ネット 街の住みここちランキング<2021年版>大阪府2位
https://www.eheya.net/sumicoco/ranking/osaka/sumicoco_area.html


三菱UFJ不動産販売 住みよさランキング<2021年版>大阪府2位
https://www.sumai1.com/useful/townranking/

箕面市の充実した子育て支援

箕面市では「子育てしやすさ日本一」を目指し、全力で子育て施策の充実を図られています。
https://www.city.minoh.lg.jp/kids/index.html

子どもの医療費助成については、他市に先駆け、2008年から対象年齢を順次拡大し、現在では高校卒業年齢までを助成対象となっています。
https://www.city.minoh.lg.jp/iryouseido/iryou1/h214nyuuji.html

地形

箕面市は大阪府の北部に位置しています。箕面市の北部は、北摂山地が東西に連なり、南部は東西に千里丘陵、中央部に平地部がひろがっています。北部山地に源を発する河川の一方は東へ流れて勝尾寺川となり、もう一方は市街地西部を南西に流れる箕面川となります。

摂津国と北摂

私たちが暮らす箕面は、かつて摂津国(せっつのくに)にありました。摂津国は、現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたります。経済的に発展していた大阪と神戸が共に摂津国にあったのです。1871年(明治4年)に廃藩置県が行われた際、当時の東京府より、摂津の方が経済的に大きかったために、大阪府と兵庫県に分けられたといわれています。摂津国の北側が北摂と呼ばれ、現在の池田市、豊中市、箕面市、吹田市、茨木市、高槻市、摂津市がこれにあたります。

西国街道と瀬川宿

京から西へ向かう江戸時代の重要な幹線道路として西国街道がありました。西国街道は、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈でした。京都・羅城門(東寺西側付近)から山崎宿(大山崎町・島本町)・芥川宿(高槻市)・郡山宿(茨木市)・瀬川宿(箕面市)・昆陽宿(伊丹市)・西宮宿(西宮市)と北摂を通り、大阪を経ずに下関・九州方面の西国へ至っています。

箕面の瀬川宿は、能勢街道との結節点にあたり、本陣が置かれていた重要な宿場町だったのです。江戸時代以降の宿場の内、大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家を本陣と呼び、原則として一般の者を泊めることは許されていませんでした。瀬川宿本陣は、阪急・桜井駅の近くにありましたが、残念ながら建物は現存していません。

郡山宿本陣(別名「椿の本陣」)大阪府茨木市宿川原町3-10

箕面市

1867年(慶応3年)の大政奉還後、1871年(明治4年)に全国で廃藩置県が行われました。箕面の大部分は兵庫県に属しましたが、その半年後に大阪府の管下に属しました。全国の市町村数が71,314から15,859に減少した「明治の大合併」では、1889年(明治22年)に萱野、箕面、止々呂美、豊川の4ヵ村が発足しました。1948年(昭和23年)に箕面村が箕面町となり、萱野村、止々呂美村と合併。1956年(昭和31年)に三島郡豊川村と合併して箕面市が誕生しました。

地盤・活断層


大阪には、有馬-高槻断層帯、上町断層帯、神戸・淡路島断層帯、生駒断層帯という4つの活断層帯があります。東西に連く有馬-高槻断層帯、南北に続く上町断層帯、神戸・淡路島断層帯、生駒断層帯の3つの断層帯が箕面市で交差しています。文部科学省研究開発局地震・防災研究課の報告によれば4つの活断層帯は、いずれも活動の可能性が少ないと予測されています。一方で、南海トラフでは、マグニチュード8~9クラスの海溝型超大型地震が発生する確率が、今後30年間で70%と予測されています。
画像:国立研究開発法人産業技術総合研究所地質調査総合センター・活断層データベース

画像:国立研究開発法人産業技術総合研究所地質調査総合センター・活断層データベース